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阿波のオヤジさんを「偲ぶ会 ~一寸先は夢~ 」のあった一日


RBが創設されるさらに26年前から今日に至る約40年間がランナウェイズの歴史なのですが、そのうちの36年に亘り、チームを温かく見守ってくれた阿波のオヤジさんことH氏が、2016年5月に急逝されました。
何故H氏が“阿波のオヤジさん”と呼ばれるようになったかといえば、13年前まで目黒区・自由が丘で、居酒屋『阿波の里』を経営されていたからで、そこがランナウェイズのいわばミーティング場所だったからです。

チームの成長はこの時空間を抜きには語れないほどで、チームに所属したメンバーは、誰もが深く感謝をしている存在でした。ですから突然の訃報に私たちは一様に驚き、そして涙したのです。しかし、ただ悲しんでいるだけでは、男とはいえません。

長きに亘り常に笑顔で旧ランナウェイズ、そして13年前からはランナウェイズA(RA)、ランナウェイズB(RB)の応援に駆けつけてくださった阿波のオヤジさんのご恩に報いるべく、私たちで出来ることをしようということになったのです。その結果、阿波のオヤジさんを「偲ぶ会」が企画されたのでした。

とりわけ阿波のオヤジさんが息子のように可愛がってくれたRBが中心となり、RAはもとより、ランナウェイズ・サポーター(RS)、地方球団員、休団員OB、関係者に声を掛け、思い出多き自由が丘の地で、開催することといたしました。

世間は「一寸先は闇」といわれますが、その闇を明るく照らし、私たちに夢を見ることの大切さを説いてくれた阿波のオヤジさんにちなみ、「偲ぶ会」のテーマを『一寸先は夢』といたしました。

RB内ではB班が「偲ぶ会」の担当となり、どのような内容で実施するかの議論を重ねた結果、阿波のオヤジさんが愛してくださった野球チームとしては、「やはり野球だよね」ということになりました。そこで夕刻からの「偲ぶ会」に先だって、午前中にRAとRBの追悼試合を実施することが決まりました。

「偲ぶ会」は、阿波のオヤジさんの人柄を反映し、東京近郊はもとより日本全国に散らばったOBや、海外に転勤していて休団中の選手たちも出席の意思を示してくれていました。しかし、なかなか午前中の試合となると難しいのが実情です。

しかし、何と何とその追悼試合に、遠路はるばる勤務先の長崎より掛けつけてくれた、N主将の姿が集合場所にあったのです。実に久しぶりの再会でしたが、これも阿波のオヤジさんが引き合わせてくれたおかげと、少ししんみりしたRBのメンバーたちでした。
RB創設すぐに入団したN主将は、AV男優並みのイケ面とインテリ・ヤクザ的な言動がS監督に気に入られ、初代の主将に任命されましたが、事情あって現在は地方球団員です。この間チームは、O主将代行を置き、つつがなく活動をしておりましたが、大好きだった阿波のオヤジさんの死を聞いて、急遽、上京して来たという次第です。

N主将当人は「いやぁ~見学だよ」と言いながらも、しっかりとユニホームを持参し着用するあたりは、さすがインテリで鳴らした主将ならではのケジメの良さです。往年のダイナミックなフォームもそのままにキャッチボールをするなど、元気に試合前の練習に参加していました。 阿波のオヤジさんの「おう、N! お前も変わりなく、相変わらずキザな奴ちゃなぁ!!」という愛情たっぷりのイヤ味が聞こえてくるようです。

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また、大阪から同じく地方球団員のI選手も駆けつけました。こちらは長崎より近いせいか、かなりの頻度で試合にも出場しているのですが、今日は特別です。阿波のオヤジさんとは、国家主催の公的な博打仲間で、よく連れ立ってオケラ街道をトボトボと歩いていたそうです。
そんな一面はおくびにも出さず「阿波のオヤジさんに捧げる勝利を!」などと、柄にもないことを語るものですから、周囲からは自然と笑いが漏れるのです。追悼試合なのに、存在自体が不謹慎という、実にありがたくないキャラですが、チームは「清濁併せ呑む」が特徴ですので、生き残っているのです。

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そして、最近は一年の半分近くを洋上で過ごしていると思われるM選手も、何故か地に足を踏みしめて、元気に参加しておりました。チームの活動の半分以上に参加できず、それは当然、クラブチームとして応分に果たすべき責任(グランドの獲得、対戦相手の探索、行事の担当など)を全うできないことを意味し、それで試合に出てくるということは、選手としては、“いいとこ取り”になってしまいます。

クラブチームはメンバー間の平等と公正が基本ですので、これではマズイと自覚しているM選手は、自ら休団を申し出て、洋上勤務がほぼ終了する一年後に復帰を目指していました。ところが、これも阿波のオヤジさんの思し召しなのか、何と「偲ぶ会」の開催日に、久しぶりの“上陸”が可能になったのです。

洋上勤務から戻るたびに、お腹周りが一回り成長しているといわれるだけあって、久しぶりの雄姿は、しかしポッチャリ系であったことが残念なところでした・・・。

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人の死は、常に離散していた人々を、再びひとつに収斂させます。日頃の試合では会えない仲間にも、こうして再会させてくれたのです。H氏の死は、阿波のオヤジさんとしての生き様を明らかにさせてくれたので、人々を惹きつけ、追悼試合、「偲ぶ会」に多くの参加があったのです。

その追悼試合は、透き通るような青空の下で行われました。試合開始前には、阿波のオヤジさんの遺影と大事にされていた記念のユニホーム、そして球団旗がバックネットに掲げられました。可愛がってくれたランナウェイズのメンバーたちを、温かい微笑みが見下ろします。

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阿波のオヤジさんの追悼試合は、ランナウェイズというルーツを共にするランナウェイズA対ランナウェイズBで行われました。
阿波のオヤジさんの口癖だった「遊びだって真剣にやれ!」に恥じないガチンコ勝負を誓い、両チームともに真剣な戦いを前に、緊張感がみなぎります。

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その影響もあって、試合前のセレモニーである始球式も真剣勝負で行われました。創立記念日で対決したOBのI氏とS氏が、攻守ところを変えての再激突を繰り広げたのです。
軍配はI氏の“剛速球”を、キッチリとセンター前へ運んだS氏に上がりました。

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試合はRBが先攻で始まりました。3番・Y選手が二死からもぎ取った四球と内野エラーにより、願ってもない1点を先取しましたが、先発のM選手がこのリードを守れません。その裏、先頭にいきなりの四球を与えてしまい、リズムに乗れません。キャッチャーのY選手もM選手の乱調を鎮めるリードができず、この回だけで3つの四死球を与え、二死満塁というピンチを作ってしまいます。悪い流れは当然の痛打を喰らい、右中間のツーベースで3点を奪われ、あっさり逆転を許してしまいます。

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RAもRBも共に世田谷区軟式野球連盟の一部リーグに所属するチームですから、「勝つために何をすべきか」を熟知しており、四死球は絶対にダメなのです。にもかかわらず四死球を与えるのは、結局は「守りの姿勢」だからで、攻める姿勢が見えないことでテンポがまったりし、攻撃にも支障をきたすのです。これでは、とても大会を一週間後に控えたチームとはいえません。

こうした嫌な流れを変えたいRBは、M選手を早々に諦め、2回裏からI選手にスイッチします。ところが、ところが、先頭を追い込んでいながら、これまた歩かせてしまったのです。怒りに顔面蒼白となったS監督は、たった一人に投げただけでI選手に交代を告げます。この窮地を救ったのが、新戦力のM選手でした。
突然のマウンドにもかかわらず、今までの悪い流れが嘘だったかのようなリズムの良い投球でこの回を0点に抑え、ようやく試合が落ち着きます。

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3回表RBは、見事なマウンドさばきを見せたM選手が先頭としてレフト前ヒットで出塁。チャンスを作りますが、RAもしっかり守り、戦況は二死一・二塁という拮抗した場面となります。ここで頼れる4番・O選手がライトオーバーのタイムリースリーベースで3対3の同点とします。O選手はこの一打でMVPに選出されました。

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相手に息の上がった様子が見え出した4回表には、2本のシングルで得たチャンスに連続ワイルドピッチなどで3点を奪い逆転します。結果、6対3で我がRBが勝利しました。

試合後は両チームで健闘を称え合い、仲良く記念撮影を行いましたが、バックネットから試合を見下ろしていた阿波のオヤジさんからは、きっとお小言を喰らうような試合内容でした。
「お前ら、あれほど大事な初回と言い続けているのによ~、これじゃあ口ばっかりじゃねえか。こんな試合やっているようじゃ、大会でだって勝てっこないなあ~」
いやはや、ごもっとも。生前の阿波のオヤジさんなら、きっとこんなふうに言っていたかもしれません。べらんめー口調の辛口な評論が、脳裏をよぎった選手も少なくなかったはずの、試合内容であったことだけは確かです。

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そして、内容に不満を残しながらも、つつがなく野球を終え、それなりに勝利の気持ちの良い汗を流したところで、チームが向かう先といえば、もちろん居酒屋『阿波の里』のあった地・自由が丘です。そうです「偲ぶ会」は自由が丘にて行われました。

会場にはH氏の奥様をはじめ、居酒屋『阿波の里』の元従業員の皆さんや、ランナウェイズと同様、活動後の憩いの場としてお店に何度となく顔を出していた武蔵工業大学グリークラブOBの皆さん、そして午前中の試合には参加できなかったランナウェイズOBや地方球団員のメンバーも次々と訪れ(最も遠くは何と上海から!)、総勢80人にも及ぶゆかりの方々で会場は一杯となりました。

元をただせばRBも、チーム創設当初はメンバーが不足がちで、公式戦と位置付けていた連盟の大会にも棄権をするかどうかの瀬戸際を経験しております。そんなときH氏が武蔵工業大学グリークラブ繋がりで、居酒屋でアルバイトとして働いていた現・I選手に声をかけ、I選手が現・H選手を伴って試合に参加してくれたことで、棄権を避けられたのです。

その後、二人を起点とし少しずつ人の輪が広がっていき、現在のメンバー数になったのです。いわば阿波のオヤジさんは、RBの生みの親なのです。そうした一面が伺えるように、この日の「偲ぶ会」の会場を見渡してみると、阿波のオヤジさんには人を惹きつけ、人の輪を作る魅力があったのだと改めて感じられます。


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「偲ぶ会」は、阿波のオヤジさんに花を手向ける厳かな雰囲気からスタートしました。会場には献花台が設けられ、参加者全員が阿波のオヤジさんの冥福を祈ります。

阿波のオヤジさんの明るい性格をイメージしたカラフルな色の花々に彩られ、脇にはこれまた阿波のオヤジさんとは切っても切り離せない缶ビールが置かれています。花でいっぱいになった賑やかな献花台を見ていると、笑顔で微笑んでいる阿波のオヤジさんの姿が自然と浮かんでくるのです。

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「偲ぶ会」の中盤には、阿波のオヤジさんの生涯を振り返るスライドが上映されました。30年以上も前の(当然ですが)若々しい姿が映し出されると、会場からはそのあまりの変貌ぶりに笑いがもれておりました。そしてスライドの合間には、ゆかりの方々に阿波のオヤジさんとの思い出話を披露していただきました。

長年、居酒屋の従業員であったAさんは、阿波のオヤジさんには「仕事中によく怒られていた」とのことで、普段、野球に訪れる穏やか姿とは別の、職業人としての厳しい一面を語ってくださいました。

また、武蔵工業大学グリークラブOBのSさんは、約35年前に初めて『阿波の里』に来店した日のことを昨日のことのように語ってくださいました。そのグリークラブの皆さんは、合唱の世界では愛唱曲として有名な「ふるさと」をアカペラで歌い上げ、阿波のオヤジさんに捧げてくださいました。本番の直前には、会場の片隅でこっそりとリハーサルをされており、野球と合唱と道は違えども、何事も準備が大切であるということを感じさせてくれました。

そういえば、阿波のオヤジさんも公式戦やイベントの前には、必ずメンバーの誰かに電話をかけて時間と場所を確認され、集合時間前には必ず現地にいらしていたことが思い出されます。

阿波のオヤジさんに誘われてRBに入団し、今回、記念スライドの制作にも携わったI選手は、次のようにH氏を偲びます。

「大学時代にはうまく勧誘されて入ったグリークラブがあり、そこで始めたバイトで『阿波の里』を知り、そこでH氏に出遭い、そのご縁からRBとのご縁が広がり、RBのメンバーと出遭っています。野球の世界ではよく“タラレバ”は禁物といわれますが、どれひとつでも欠けていたら、この空間に辿り着いていなかったのかと思うと、実に感慨深いです」

スライド上映で映し出された在りし日の阿波のオヤジさんの姿を目で追いながら、目に涙こそありませんでしたが、I選手は改めてしみじみと呟きました。

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「偲ぶ会」の終盤には、早朝より行われた追悼試合のMVP、MIPに阿波のオヤジさんの名を冠した賞が贈られました。これは、阿波のオヤジさんがイベントに参加されるたびに、メンバーの子供たちにプレゼントしてくれていた金平糖が賞品でした。

勝者であるRBからは、価値ある一打を放ち、偲ぶ会でも司会という重責を勤め上げたO主将代行がMVPに選ばれました。RAからはガッツあるプレーを評価され、T選手がMIPに選ばれました。

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そして「偲ぶ会」は、しめやかな形をとりながらも、阿波のオヤジさんとの楽しい思い出が次々と披露され、つい笑みがこぼれてしまうような、そんな温かい雰囲気のまま閉会しました。きっと、傍で見ていたであろう阿波のオヤジさんも、満足いただけたのではないかと思います。

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しかし36年という月日をわずか3時間弱で語り尽せるはずもなく、「偲ぶ会」は二次会、三次会へと進んでいきます。これまでのイベントや飲み会でも、若手よりも元気に飲食し、およそ「中座」という言葉を知らないとしか思えない阿波のオヤジさんの魂も、きっと最後まで参加して笑顔で話に耳を傾けてくださっていたと思うのです。

その二次会の司会は、「偲ぶ会」事務局長として約1か月の準備期間を獅子奮迅の活躍で取り仕切ったO選手が務めました。献身的なその働きには頭が下がります。メインの「偲ぶ会」がつつがなく終了し、ホッとしたところもあっただろうとは思いますが、そんな素振りは見せずに二次会の司会も見事に勤め上げました。

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こうして、阿波のオヤジさんを偲び、語らい合う長い夜はゆっくりと更けていくのでした・・・。
阿波のオヤジさん、どうかこれからも我々を天国から見守っていてください。合掌

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